おたがいサロンが生まれるまで
代表の藤田は33歳、娘2人を育てながら病院に務める看護師で、共働き家庭の主婦でした。平成16年1月、看護について初心に戻って勉強したくなり東京の専門学校を受験、4月から東京に行くことになりました。しかし入学直前の3月に甲状腺癌が発見され手術を受けることに・・・。人生いつ終わるかわからないことを実感し、娘たちには親がいなくても生きる力を育てようと思いました。
東京から戻った後は4年間看護学校の専任教員を務めました。37歳で離婚。自分の人生を真剣に考えました。「子供たちに迷惑をかけずに1人の人生を生きるためには何をしたい・・・?どこで働くことが自分の生きがいになるだろうか・・・。」これが当時の疑問です。
病院で多くの患者さんと関わりながら、看護を必要としている人にはすぐに手を差し伸べ、多くの家族を支援できる場所で看護のスキルを磨きたいと強く思いました。その時、数年前に見た看護学雑誌で富山県の共生型デイサービスの記事があったのを思い出したのです。独り身ならば、日本中どこにでも飛んでいき働けるが、娘二人の養育責任があるので室蘭を離れることは避けたい、室蘭で創ることはできないのだろうかと調べてみることから始めました。
それからは必死に、恥を承知で多くの人に相談しました。室蘭市の市役所職員の方には真剣に相談にのっていただき、胆振振興局の人にはひどく馬鹿にされたのを記憶しています。それでもめげずに道庁に電話で相談すると、とても親切な対応で開業の道が開けました。道外では個人が介護保険の事業を開業しているケースが多く、勇気を出して自分でやってみよう、ダメなら病院勤務に戻れば良い。平成21年、38歳、看護学校を退職し会社設立を決意。当然周囲は猛反対。しかし、自分が世間知らずだとは自覚なく、呆れてしまうほどばか真面目な人間でした。
ただ、自分の挑戦したいことは、精一杯行動する姿を見せる事、それが親としての責任の取り方だと感じ、1人夜景を眺めながら不安を心に押し込めて、必死に行動していたことを思い出します。
(藤田)
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