【解450】「今、この時」を誠実に生きるということ – 室蘭の小さなデイサービスより
「今、この時」を大切にする。小さいころからいたるところで耳にするこの言葉。
でも実際、自分自身を振り返るとき、「大切にできてない」ときが多いなあというのが、本当のところだったりしませんか。
今日は、こちらの記事(お花見~「また今度」はないかもしれないから「今」を大切にします(藤田)(2019.5.8)-Vol.450-)から、「今、この時」を大切にするというテーマで考えたことを整理してみました。
「今、この時」を誠実に生きるということ
「今、この時」を大切にする。それはおたがいサロンが開設以来大切にしていることのひとつです。
ポイント:
・自由が保障する「今、この時」を大切にするということ
・「病や死がいつ訪れるかわからない」から、誠実に生きることが大切
自由が「今、この時」を大切にするを可能としている
当たり前のことですが、デイサービスには、ご高齢の方々がたくさんいます。ご高齢の方々にしてみれば、「今、この時」を逃すと、二度とその機会はやってこない可能性は高いです。
ゴールデンウィークにちょうど桜が満開を迎えた北海道。しかも晴天の花見日和ともなれば、お花見ドライブに出たくなるもの。
でもあらかじめプログラムが決められていて、お花見イベントがあったとしてもその日が雨だったとしたらどうでしょう。悲しくなります。だから、おたがいサロンには、プログラムらしいプログラムはありません。「今日は、桜も満開で晴天のお花見日和だから、お花見ドライブに行こう」が可能になります。スタッフは一生懸命、その時々の利用者さんの様子をみつつ、「やってみたい」を最優先で一日を組み立てていくのです。
この「自由」があるからこそ、「今、この時」を大切にすることができます。
「今、この時」にお花見ができず、運悪く翌日、翌々日と天候に恵まれない日が続いたとしたら、「今年は残念だったけど、また来年」とならざるを得ません。でも、ご高齢の方々にしてみれば、その「来年」がやってくるかどうかはわからないのですから。
「今、この時」はご高齢の方々のみならず私たちにとっても大切~福祉の力
ご高齢の方々にとっての将来の方が、私たちの将来よりも不確かだと、常識的に考えてしまいがちです。でも今現在どんなに若く健康だったとしても、いつ何時、病や死が訪れるともわかりません。今日の帰り道、交通事故に合うかもしれません。震災に遭遇することだってあるかもしれません。
いつ病や死が訪れるのかは、誰にもわからないのです。それこそ神のみぞ知ることがらです。
亀井勝一郎という函館の文芸評論家は、
「死が生を照明する」「死があるからこそ、生が輝く」
といったことを書いています。それは、「いつ死が訪れるかわからないから、今、与えられているこの時を精一杯、誠実に生きること」と直結します。死がなければ、生きることの素晴らしさも見えづらくなります。
おたがいサロンのようにご高齢の方々と日常的に関わる福祉の仕事は、他の職種以上に「死」について考えさせられる機会が多いです(医療もそうですね)。そうであるからこそ、一層、「今、この時」を大切にしたいと思わされる。
それは、おたがいサロンの利用者の皆さん、スタッフ、ボランティアさんのみならず、私たちが日々出会うさまざまな人たちとの出会いを感謝して、ひとりひとりと誠実に向き合っているだろうか、という反省に導いてくれます。その都度、自分に与えられている生を、しっかりと精一杯に生きているだろうか、しっかり誠実に仕事に取り組んでいるだろうか、と真剣に考える機会をいただいている気がします。
(つるっち)
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